落選指南回顧録

   <序>  

夕方の6時を過ぎ、明らかに日焼けした顔と一週間にも満たない運動期間で4〜5キロは痩せたと思われる敗者の姿が駅前の雑沓に悠然と立ちつくしていました。
1999年4月24日(土)小金井市議会補欠選挙、定員2名立候補者5名の戦いも、あと1時間余りと云うその時、私を選挙に駆り立てたすべての思いが一瞬にして崩れ落ちていくのを感じ、雨と汗と涙で流され行く自分をぼう然と成すがまま、立ち続けていました。決して選挙に対しての惜別の情などはありませんでした。
 
◎  1998/3/10 5:30pm.小料理屋Iにて、               元PTA会長のN野氏、K坂氏、H中の教頭、元N中校長各氏との席で「私は、次回の市議選には立候補しますので宜しく。」
だが、この発言に何の意味があったのだろうかと今でも反省している。元会長の一人は現役の市職員そして教頭は都職員、元校長も言わば退職後の天下り職員である以上、表だって選挙協力の出来る人達ではありません。この発言は、ただ自分自身を選挙に出なければならないように追い込んで行く手段でしか無かったように思います。
誤解を受けるといけないので一言付け加えさせて頂きますと、選挙初日より隠れて私の演説をすべて聞き、その日の内に講評の電話を丁寧に頂いたのは元N中校長でした。

◎ 1998/4/7市立第N中学校入学式
 民間行財政改革委員長W氏に立候補の件伝える。「おまえならいいんじゃないの」。

 この時、私はN中の元PTA会長としてして招きをうけた訳です。学校にとって入学式・卒業式は一番大きな行事であり、また日の丸・君が代の問題が、教師、保護者達の中ではっきりと表われる場でもあります。これに反対する教職員の校長(学校経営者)に対しての圧力のなかには1.授業を休んでの集会出席願いの類いを校長に何回もだす。2.日の丸の国旗を直前に隠す。3.行事の会場に国旗を設置し難くする。4.組合や政党経由で保護者に訴えるなど。そして、式当日、国歌斉唱の時、進行役の教頭が「皆さん起立して下さい」と云えば、招待状ももらっていないのに来賓席に来ている議員を筆頭に・・・着席してしまい、場内を乱す・・・といった行動に出るのです。
私がN中会長当時、
私  「議員さん達を、校長先生が来賓として招待しているのですか。」
校長 「議員さん達が勝手に来るんですよ。」
私 「それなら身勝手な行動を規制する文書を、会長名で議会事務局に送りますが、よろしいですね。」
校長 「お願いします。」 ・・・
簡単に言ってしまえばこんな経緯で、議員さん達への警鐘役を買って出る事になったのです。

  小金井市議会事務局御中
 平素より教育環境改善にご尽力頂いております市議会・議員各位に対して心より感謝申し上げます。
  N中PTA会長として残念に思えてならない事が一つございます。それは、学校行事に来校される議員の一部にみられる、身勝手で場所柄をわきまえない態度のことです。議員の皆さんが学校行事に出席される事を否定している訳ではありません。むしろ積極的に出席頂き、住民の信任をえた立派な人物として、それなりの範を示して頂ければと願っております。
  間もなく卒業式・入学式と大切な学校行事を迎える訳ですが,もしご出席頂ける議員各位のなかに一人でも身勝手な態度をとる可能性が見受けられる場合は身を呈してご退場頂く所存でございます。・・・等々。

このような内容であったように記憶しております。
議会事務局にこの文書を届けて、数時間の内に学校と自宅に、共産党・民主党・そして?系の女性議員から抗議の、また自民党の議員からは感謝の電話が殺到してきました。
・・・ちょっと待てよ、私はコテコテの保守派なのか?

◎ 1998/4/24
 私の後任PTA会長I氏に協力を頼むが氏曰く、やはり民主党の菅直人の影響力が大きいとの考え。そして最後に、やはり選挙にでるのは止めたほうがいいとの助言。

◎ 1998/4/29 (どこかの飲み屋で)
 私の小学校以来の友人のN氏から立候補の話を持ちかけられる。この時とばかり「当然俺はでる。」・・・
N 「そうだよ、絶対同級生から議員を出そうじゃないか。十年前のM君なんか本当の意味で立候補 したんじゃないよ、自分の子供が思い通りの保育園に入れなかっただけだぜ、それで当選すると思うかよ。」
私 「でもな、それで選挙カーも出さず、ただ安っぽいポスター一枚で四百票近く集めたんだろ、すげえじゃねえか。」
N 「俺は、一人で三日も会社休んでポスター貼ったんだぜ。何とか同級生の市議がみたくてよう、わかるかよこの気持ち・・・」
私 「来年の4月出るからな、手伝ってくれよな。」
N 「よしやろうぜ!乾杯だ。」「ところでよう、来年市議選あったのか?」
私 「なにちっこいこと言ってんだ、あるじゃねえか市長選が、この年が来て一発やるなら市長選よ。」
N 「えっ・ほんとかよ、止めとけよ。それは無理だよ、いくらなんでも止めてくれ。」
私 「う・そ・だよ!市議の補欠選挙があるじゃん。」 
 
 このN氏、今回の選挙回顧録では、いくら自前とは言え、飲めや騒げの筆頭株主となる人物であります。おまけにうぐいす嬢にぞっこん惚れまくって、あげくの果てにはうぐいす嬢Mさんの勤め先にまでご迷惑をおかけする・・・と、まあなんと申しましょうか、話題の張本人といった人物です。おそらく彼にとっては、テレビコマーシャルから司会まで人気絶頂・ルパン三世の峰不二子か、はたまたボンドガールを演じるような知と美を備えた藤原紀香そのものに見えたのでしょう。また彼は自称詐欺師とも云う人物である。
 
◎  1998/5/2 私の店で。  武夫くんが来て、
  武夫は私にとってはさきに紹介した自称詐欺師で紀香ファンNと同様、小学校・中 学校の同級生であり、今でこそ億の借金を抱えた人物ではあるが、バブルの影響さえな ければ駅前の一等地でスーパーを経営する2代目であります。
武夫 「おまえ選挙に出るのかよ、儲かるからいいぞ。頭下げる気あるか、俺もひとはだぬぐぞ、でもなA氏はだめだぞ、いくら大物のバックが付いているとはいえやつに頭を下げに行くようなら俺も縁を切るし、小金井の南口はそっぽをむくぞ。今のお前はいいよ、何でも挑戦できるからな。
私 「南口でやり手の青年実業家と評判のA氏や、関係していると思われているM党や議員に頼みに行けるかよ。おれは一人でやるよ。」
  後にこのM党党首、K氏の応援演説に出くわし、話題が豊富になり結果として泣かされることにもなる訳です。
 A氏はゼネコン企業をバックに市南口再開発で一儲けしようとの噂、その情報は議員を利用してと云う構図が描かれていたのでしょうか、以前は自民党の大物私設秘書として活躍したとの噂もあった?いわゆる駅前商店の2代目あととり息子であるらしい。

◎ 1998/秋
 妻の反対を押し切ることができず、選挙協力をお願いしてきた人たちへ選挙断念の手紙を考え始めていました。あくまで意に反してと云う内容であったように記憶しています。しかしながら、私の選挙への気持ちを再び掻きたてたのは、市長選に伴い議員が1人欠員になると云う噂にとどまらず、永年議員として勤めてきたS氏が関わっている福祉団体への補助金の不正流用が問題となり、議員辞職に追い込まれ、これによって少なくとも欠員が2人となることを予測できたからです。

 ここで私の選挙に関心を持ってきた経過を10年ほど前にさかのぼってお話させて頂きます。
36歳、景気も絶頂、開店以来の人生の節目として店舗兼住宅を当時3千万円を借金して新築中のときでした。町内在住のNI氏が市議会議員に立候補の名乗りを上げました。建築関係の上場会社に勤めるNI氏は、当時より計画さていた市再開発をもくろんで会社よりの先兵として、さらに自民党の推薦を取りつけ順風満帆のスタートをきっていたとの噂でした。ときに昭和63年11月、目標は翌年(昭和天皇崩御・平成元年)4月の市議会議員選挙でありました。近くの一杯飲み屋(仮称矢助)の客で口論をする度にNI氏に対してのライバル意識が強くなってきていたのは事実かも知れません。。
当時の事なのではっきりとした行政に対しての意見と云うよりも、霊園通りの道路工事のやり方に対しての不満、保育行政について、職員の態度や給与について一言述べてみたかったのでしょう。そしてこの時同級生のMくんが保育行政への不満を理由に立候補を試みたことも大きな刺激になっていたように思います。ちなみにこの時は、社会党ブーム、つまり3%消費税反対を唱えてさえいれば優位に選挙が進められた時代でした。
そんな訳で10年前から選挙に出たかった。しかし悔しいけれど、私としては店の建て替えと商売を大きくすることの方を優先せざるをえなかったのです。


  〈  厚生文教委員会傍聴で触発されて  〉

◎ 1996
N中PTA会長として、人前で話すことに慣れ、比較的孤独感と劣等感が中心の過去20年間が嘘のように思えた時でした。当時東京都で一校だけと云う進路指導改善事業の指定校を文部省より受け、3年間にわたる生徒、教師、そして保護者の事業への総括発表もかさなって会長としての出番も大変多かったときでもありました。例えば松井田町から教育委員、校長、担当教師たちがバス一台で来訪するとなると、接待、挨拶、送迎といったこともありましたし、最終発表の手伝い、パーティーの主催等と通常の会長職の大変さだけでは済まなかったときでした。
私にとって多忙極まりないときに、さらに教師の体罰問題がエスカレートし、一部の保護者がこの事を請願・陳情と云うかたちで市議会の厚生文教委員会まで持っていったのです。当然ながら教師、教育委員会、教育指導室(都のエリート教育集団・実質的市の教育司令塔)は、保護者の代表的存在のPTA保護者役員、N中PTA会長会等に楯になる事をそれとなく、巧みに求めてくるものなのです。
指導室ならびに校長の要請を受けた私は、当然の事としてこの問題を収めようと、保護者会開催、請願・陳情に反対するような文書作成、都議・市議への根回しに奔走しました。そしてこの時はじめて市議会の厚生文教委員会傍聴に三回ほど行き、議論内容の陳腐さ、形式化に驚き、結果として自分が議会に関わりたいと云う意思を固める呼び水となったことは否めません。
この件が終わってみてはじめてわかった事は、私自身が利用されていたことと、請願・陳情をあおった革新議員達の翌年4月に予定している選挙運動に多いに利用されたと云うことでした。


   〈  何が何でも立候補  〉

◎ 1999/ 2/19
いよいよ選挙立候補予定者の説明会の当日です。今回は市長選がメインであり、あくまでも市議は補欠と云う事であり、その対応たるや二の次的扱いであったように思いました。 自民党、共産党、民主党、市民の党、そして高齢ながら独特のオンブスマン活動を続けながら選挙といえば必ず参加するS氏。この連中に混じって私とF氏がいたのでしょう。

   自民党:党の選対担当者・(稲葉市長候補・党推薦市議候補のため)

   共産党:元市議若木さん、市議板倉氏・(大鳥市長候補・関根市議候補のため)

   民主党:市議渡辺氏 ・(久保田市長候補・遠藤市議候補のため)

   市民の党:市議青木さん ・(    ?  ・    ? )

   S氏 ・( 自分の市長選立候補の為)

   F氏 ・(自分の市議選立候補の為)

   私 ・(自分の市議選立候補の為)

その他政党より何人かの人が参加していたような気がします。

 説明会受付には、来た人の氏名・住所・р記入するようになっており、もう一欄立候補予定者を記入する様になっていました。選管職員たちも、私の存在がまったく予期せぬものであったのは当然で「この人は何物か」..と驚きと疑惑の視線で見ていたのでしょう。私がこの時、立候補予定者の欄をどうしようかと一瞬戸惑ったとき、今回の落選に寄与する大きな要因があったことなど知る由もありませんでした。何故ならばそれは地元新聞を始め諸々のニュースとして名前が出るか出ないかと云う、大きな差となってしまったからです。もしあの時、躊躇することなく立候補者の欄に自分の名前を書いていたならと後悔をしています。

説明会での面白かったことを幾つか書かせてもらいます。
 S氏と共産党ベテラン若木さんとの会話
 S氏   「ばあさん、まだ選挙に出るのかい。」
若木さん 「じいさんこそ、また出るの。」
こんな会話で待ち時間を過ごす訳です。渡辺議員「いまどき本人が説明会に出てくるようじゃあ・・・だめだよなあ、まさか本人なんか来てないだろうよ!」・・・どいつもこいつも図々しい奴らと感じる事ばかりでした。
 オートバイでの選挙活動は認められているけれど、自転車のように旗をひらめかせてはいけない。ほんとは自転車にのぼり旗を付けて走る事は道路交通法に違反しているそうですがね。政治政党や東京都に届け出をしてある後援会組織があるなら、選挙前のポスターや政策入りの自己紹介チラシが可能だが、何の組織も無い人が選挙に出た場合、まさに告示から投票日の一週間が勝負ということ。裏を返せば政党や組織がしっかりしている選挙は、告示日にはすで選挙運動を終え、結果はほぼ出ていると云うことです。
条件は私にとって最悪でした。しかしながら、ここで立候補を取りやめたら10年前の私に戻ってしまい、何の進歩も無く、選挙の度にいくつになっても新人としての市政参加をうたう、単なる飲んだくれで終わってしまう訳です。無謀だと分かっていても立候補、まずは供託金を納めよう。何が何でも一歩踏み出す事と決意しました。
 
◎  選挙で使う費用の主なもの
1.選挙事務所借り上げ料 2.選挙運動員(うぐいす嬢)労賃 3.選挙カーの借り上げ料
4.ポスター作成料(134ヶ所) 5.事務所看板 6.仮設電話 7.食事代 8.その他 しかしこのうち一定の得票があれば、ある程度公費負担でまかなってくれるものもある。今回の補欠選挙でも一般の選挙と同じく有効投票数÷議席数×0.1となっていて、つまり今回は約150票以上あればこれに該当した訳です。当然供託金30万円もこの票数で返却されたと云うことです。上記の2、3、4、そしてはがき2、000枚の合計で約70万円ぐらいが公費負担です。
私の場合、ポスター作成と選挙カーに意外と金を使ってしまいました。原因は簡単で、早くから事前に調査、準備をしなかったからです。
今回の補欠選挙における選挙運動費用の支出限度額は \3、955、100‐でした。
私のような選挙のやり方ではけっしてこんなにお金はかかりません。しかし、政治政党のお世話になり写真撮影だけで30~40万円も使うようなやり方では、絶対に支出限度額は超えるはずです。

◎  1999/4/1自宅にて(立候補を仲間にばれて応援会結成・・感謝)
公的な負担は使いたくない、組織をつくって金のかかる選挙はしたくない、当選したって党や組織の手先として働くだけの議員にはならない・・そんな一念で孤独な、誰にもお世話にならない、でも自分にできる範囲で大きな公約をかかげ、小さな選挙運動を繰り広げるつもりでした。
 現実の問題として補選となれば、少なくても一万票以上無ければ落選する事ぐらい私にもわかっていました。年間多くても500台も売れない、つまり販売だけでは500人としか話ができない店の、そのキャラクターをポスターにしたところで知名度などほとんど無に等しいという事でした。
私の属しているソフトボールチームのメンバー全員が、この選挙を全面的に応援してくれることに決まったのがちょうどこの頃でした。名簿を作れ、ポスターに写真を載せろ、北口すべてにチラシを配布しろ、選挙カーをつくれ、宗教系組織に入れ、など積極的な事たるや今までのチームが野球論で熱を入れるどころではありませんでした。
運動員として7名、そして以前に紹介したうぐいす嬢に惚れたN氏の8名が事務所運営、選挙戦略、選挙カーの担当として活躍し、結果として1、798票を集めてくれた訳です。
急場しのぎのスタッフと共に戦い終わってみて幾つかのことがわかりました。1.名簿は必ずつくる。2.ポスターは大事、写真はきれいに。3.そこそこ回収命令が下るぐらいのチラシはやれ。4.選挙カーはやはり必要だが、ハンドマイクと自転車はもっと必要。5.たすき、またはそれに代わるものは必要。胸にりぼんだけでは、立候補者のインパクトがない。 つまり、通常選挙において、落選したくなければ、こうすればまずなんとかなると思います。ただし、立候補の表明は一日も早いほうが良い。また、既存の政党・諸々の組織を利用する場合はまた少し変わってきますが、おおむね述べてきた事に大差は無いと思います。

〈 立候補前夜 1999/4/17 〉 
 
 選挙カーの借り上げは出来ていたのですが、車の上に載せる看板と、選挙事務所づくりはこの日の午後8時すぎから、スタッフが集まり苦労をしたのです。字は一文字ずつA3とA4のパウチッコ紙でつくったものを、両面テープで貼っていく。事務所は十年も壁掃除をしていない自転車修理場を水洗いして、テーブルを借りてきて置く、ぼろ隠しのカーテンを貼る・・・と言ったぐあいでした。
 この最中ブレーカーに水をかけて一時間以上真っ暗闇になり、それでも寸刻をも惜しんで、懐中電灯2個、なかば暗闇状態にもかかわらず私の整髪をしてくれた美容室経営のH蔵くん、自前の缶ビールを飲みながら理屈をこねてるNくん、Fくん、割り勘で金を集めてピザを注文する人たち、東京電力に電話して一刻も早く電気をつけようとするH野くん・・・と、まさにお祭り準備中の青年団の様子を想像していただければ結構です。
実は、一年以上かけて集めた情報や新聞のファイルを数日前に演説原稿として作り上げてはいたものの、このときまだ暗記はしていなかったのです。寝不足がつづいて今日こそ覚えるぞ!と予定していたのですが、ぶっつけ本番とあきらめる結果となったわけです。

〈 選挙戦  1999/4/18〜24. 〉

悔しくて泣いた選挙、今となっては、面白かった選挙、そのエピソードを、
 ◎   国会議員を見下ろして
二日目だったと思います、朝、東小金井駅北口で通勤通学の人たちに挨拶を30分程して、電車移動で武蔵小金井駅に行こうとしたその時、南口が何やら騒がしいのでふと目をやると、M党代表の国会議員K氏が、階段の三〜四段上がったところに立ち下方向左右に市長候補と市議候補を並べ「ガイドライン法で国会が忙しいのですが・・・応援にきました。どうたらこうたら・・と」マイク片手にKスマイル。私は上段からそっと近ずき六段目の真後ろにピッタリとつき、トレードマークの癖毛で、(女性問題でふえたのか)白髪まじりの頭を眼下に見下ろし(つゆぐちてつじ)と書いたA3の胸に貼り付けたポスターを彼の頭上に掲げました。この時の気分は最高でした。市長候補、市議候補がひな壇の最前列その上にSPを伴った国会議員M党代表K氏がいて、さらにその上に私がいたのです。 さすがのSPも私が国会議員に暴行をするわけでもなく、立候補者である以上なんの手も出せず、じっと見ているだけでした。
このとき後で思ったのですが、国会議員K氏は駅の敷地内で演説をしていたのですが?

k氏・演説中時々ふりむく :「つゆぐちてつじ・・・」
私 :「にや・・・」

こんな事で、満足しているようじゃ・・・落選回顧録なんて事の顛末を書く事になるのです。

◎  駅前演説選挙カーの場所取り合戦
選挙戦後半になり、演説場所の良し悪しがとても気になりだしてきたころ、武蔵小金井駅北口の広場で夕方の乗降客目当てに演説をしたくなるものです。朝方北口のロータリーの最高の場所には、何の場所取りらしき様子はみられませんでしたが、なんと昼過ぎに行ってみると、オートバイを4〜5台並べてしっかりと夕方にかけての演説会場の場所取りをやっているでは在りませんか。これにはまいりました、組織力というか、動員力というか、いやはやまいりました。それからと云うもの必ず、民主・共産の2党の場所取りの努力には感心させられました。、自民党はさほどのことは無かったように記憶しております。

◎  選挙カーを立候補者一人で
 当然ながら 小人数選挙で選挙カーを準備したので、立候補者、運転手、うぐいす嬢、応援者と最低でも4人が乗車しての運動がいつも出来るとは思っていませんでした。
 そこで活躍したのがテープでした。朝、昼、夜の3つのパターンのテープをつくり、「おはようございます・・・」「お昼のくつろぎのひととき、大変お騒がせしております、市議候補のつゆぐちてつじでございます・・・」「こんばんは、市議候補の・・・」そして最終日のパターン「いよいよ選挙戦も最終日となりました・・・連呼・連呼・・・」と云ったぐあいでした。
在る日の午後、運転手はいない、素人仕立てのうぐいす嬢もいない、さりとて事務所の前に何時間も選挙カーを止めっぱなしもみっともない、そこで私は一人で運転することを決意しました。「やればできる!」首にマイクを引っ掛け、テープを回しハンドルを握って遊説に回りました。テープの声とその合間にマイクで生の声・・・車は走る。団地では車を止めて演説をする、走りながら手を振ってくれる人にはマイクをとうして「ご声援ありがとうございます」と答える。商店街をこのように走っていると何故か振り向き指差す人が多い、これはつゆぐちの人気も上がってきたなと喜んででいたのですが、何の事はない、テープを回しながらマイクでしゃべっている、そしてひとり車を運転している姿が珍しかっただけなのでした。いや、みじめで滑稽なだけだったのでしょう。

◎  他候補事務所前での演説
私も好き好んでほかの立候補者事務所前などで演説などするきは毛頭ありませんでした。応援者の父親が経営する会社が、つゆぐちの演説が聞きたい、一度は来いと言われていったところが共産党市長候補事務所隣に位置し、そして道路を挟んで市議候補の事務所が在ったからいけなかったのです。運動員が「こんなところで車をとめて演説していいの?」と遠慮すればするほどやってやろうと云う気持ちが高ぶってくるからふしぎです。 現市議団最大派閥の共産党を、体罰請願・陳情問題以来、何かと気に入らない存在としか思っていなかった私は、この時とばかりスピーカーのボリュームを上げ、20分近く演説を続けました。この間、偶然市長候補本人と現市議をはじめ大勢の共産党関係者が、道路をはさんで行ったり来たりしながらこちらに向かって視線を浴びせて来ました。思い起こすに私にとってはこれも選挙の快感の一つでしかありませんでした。当選したけりゃこんなことするべきではありません。

◎  まるで右翼の街宣車
小金井駅北口で演説をしようと、朝から何度となく選挙カーに乗って行ったのですがいつもその場所はあいていませんでした。四度目に北口に行ったときとうとう私の気持ちが炸裂したのです。
T氏:「また場所がないね、」
私 :「かまわないからロータリーを回ってよ、」

私の心は決まっていました。ぐるぐる他候補の選挙カーの周りを回りながら、「私には、場所取り合戦に勝つだけの組織がない、大きな政党もついていない、しかし私には十万市民がついています。イメージづくりだけが上手な政党や、早くから選挙違反ぎりぎりの運動を繰り広げるようなそんな汚い選挙は致しておりません。」走る車の窓から体をのり出して、マイクで訴える事でした。
私の選挙カーの色は濃紺、この時の搭乗者は男ばかりで、これに軍歌があれば完全に右翼の街宣車だ!
その時、演説していた候補者には、大勢の後援者、党員が旗を振って応援をしていましたが、この出来事に唖然とし、しかしその行動には強引さを感じるものがありました。市議の一人ともう一人計2名は、道路に出てきて走っている私達のくるまに素手で静止させようと立ち向かって来るのです。選挙はまさに戦争です。それなら街宣車もいいかもしれないですが。選挙カーの色は白か明るい色であるべし。

 ◎  選挙期間全員酒は飲むべからず
いくら自前の酒とは云え、禁酒が一番。今回はN氏とF氏の深酒がなにかと問題を起こしてしまった、今となってはおもしろおかしく思える出来事をちょっぴりオーバーに脚色してお伝えします。
4月17日夜. 全員集合で夜中まで準備に追われました。当然お腹もすき、のども乾いていた時、N氏とF氏は自分達で勝手に買ってきてあるビールの栓を開けはじめたのです。私はこの時、納得のいく付き合いをしていたら明日の告示日にどうなるかと言う事は十分に予測出来ていました。そこで事務所のかぎを渡して帰宅しました。翌朝立候補手続きを済ませ事務所についたとき、「臭い」、予定していた運転手N氏は二日酔いで事務所の隅で高いびき、F氏もやる気はあってもこれでは違反。幸いな事に日曜日でもあり、全員がそろっていたので運転手の確保には困らなかった。この二人、私と同じ年で日頃からの飲み友達でもあり、わたしの立候補を楽しみにしていてくれた人物であるだけに、なんとも複雑な心境でした。そしてある時は、私の妻や協力者の奥方たちよりの反発もピークとなり、ビール、酒類はすべて押し入れに奥深く封印される事となってしまいました。
3日目、火曜日の夜。すし店経営のMさんがやって来ました。彼は翌日水曜日が定休日であり、一日中活動するからと相談に来たのです。でも、彼も明日の協力の景気付けには、ちょいと一杯派だったのです。結局翌日になって分かった事には、Mさんは、N氏、F氏と午前様になってしまったと云うことでした。
その後、N氏はうぐいす嬢Mさんに付きまとい、一ヶ月余りに渡るおっかけストーカーまがいのことをし、最後は警察ざた、とまではいきませんでしたが大変な事となってしまったわけでした。

◎  演説内容の使い分け
市政参加方針として、1、公的介護保険にホームヘルパー優先  2、中央線高架化と東小金井駅北口区画整理・武蔵小金井駅南口再開発は地方優先の個別解決  3、自然環境の充実と市の財政削減の為、市の自動車利用を考えなおそう  4、小中学校の空き教室を、生涯学習や地域の集会所として広く開放を  5、市内駅周辺の駐輪場確保を・・・と訴えてきました。この事について何の失敗もなかったと今でも思っております。ただ大変気を使ったのは、演説の場所によって言いにくいことは云わないということでした。
 例えば、市役所の前では「役所の自動車利用を考えなおそう」とは云えない。 東小金井北口では「区画整理は情報公開を前提に、十分な話し合いを」と慎重に云う。
東小金井駅周辺では「駐輪場の大幅確保を」と大げさに云えない。なぜなら市全体の駐輪場は不足しているが、この駅周辺だけは数の上で十分な確保がされているから。
公務員住宅近辺では「公務員のことには触れない」などです。

 ◎  選挙戦に負けた日・4月24日(土)
さすがに今日で選挙活動が終わりとなると、早朝より気合が入っていました。正直言って最後まで声が、喉が続くとは思っていなかったし、体力もここまでもつとは思いませんでした。
駅頭で早朝からの挨拶も気合が入っていたのは言うに及びませんでしたが、残念な事に第四土曜日と言うことで通勤者はいつもの半分以下、名前を知ってもらおうと声を張り上げても、所詮は小説ヒーロー,ドンキホーテ、30分とはいられませんでした。この時ほど自分自身を恥ずかしく思ったことはありませんでした。たすきの代わりに胸と背中に名前の入った板を背負い、運動員も伴わずただ一人、俺は街のおどけもの・サンドイッチマン。
市内全域を精力的に最後のお願回り。そして最後は武蔵小金井駅南口、東小金井方面を最後にここの一等地に車を横付けできたらと思いつつやって来ました。時は4月24日午後6時、寂れつつあるとはいえ小金井の一等地、家路に向かう通行人や買い物客でごった返すなか、やはり遅かったのはご察しのとうりでした。
相手にとって不足はない!その場所を占めていたのはM党、国会議員K氏、都議に引き連れられた市長候補久保田氏、市議候補遠藤さんである、もちろん足軽役として市議渡辺氏、斎藤氏も雑沓の整理役に当たっていました。
 大型スピーカーを四つ付けた大型選挙カーの上に並び順番に演説に興じていました。離れること百メートル余に場所取りができた。濃紺の軽バンに小さなスピーカー二つ、立ち向かうは無謀と言われつつ立候補をした自転車屋”つゆぐちてつじ”ただ一人。国会議員K氏がマイク片手にゆっくりと話し始めたその時、おなじみ右翼の宣伝カーとも見える選挙カーを背にし、運動員の静止も振り切り、マイク片手に大きな声で演説を始めたのです。「私がつゆぐちてつじです、人気の国会議員のお世話になったりしません。知名度やムードづくりの上手な政党にごまかされて一票を投じてはいけません。みなさん、立候補者の主義主張をしっかりと聞いて下さい。」
 この時私は、主義主張を訴えるのを忘れ、ただ国会議員の人気に嫉妬し大声で喧嘩を売っていただけだったのです。最終日の午後6時過ぎ、冷静さを欠いた立候補者”つゆぐちてつじ”は明日の投票そして開票を待たずして落選をみたのでした。

  ◎  開票所にて、
普通、立候補をした人が即日開票の場に双眼鏡片手にいそいそと出かけて行くものではない。
4月25日(日)投票日。そして開票結果を後援会長でもあるS氏の中華料理店の座敷で待つ予定でした。しかし、そこはそれ、じっと待てない私は開票所へいざ出陣!
開票は、市体育館で行われました。当然ながら自民、民主、共産関係者よりは立会人が出席(立候補者が届け出た人達の中から抽選で10名が開票所に入れる)し、開票より二重三重の確認をし最後に200枚をひと束ねし、これを五つで千票の山をつくっていくのです。
開票から一時間経っても私の票は0、つまり千票の山が一つもできないのです。自民伊藤氏と民主遠藤氏の山は8つ前後となり、共産党の関根氏も5五つとなりました。この時点で、まだ山とはなっていないがテーブルに候補者の名前がついているところに在る未発表の票の数からして当落は確定していたのでした。

私 「小川さん、もう帰ろう、結果はでているじゃないか。」

小川さんは、双眼鏡で一生懸命テーブルの票を見ながら
「露口さん、最後の一票まで良く見るんだよ、あなたの為に投票所まで足を運んでくれたひとに失礼だろう!」

この時ほど年下の小川さんが、冷静な中にも気高く、そして大きな人物に見えたことはありませんでした。そして立候補することの大変さを心より感じた事はありませんでした。

      <むすび>

なぜ、市議会議員に立候補するのか?財政難と云われている小金井市で?
左翼的な政党や市民グループを敵対視するような選挙活動を繰り広げ、さりとて保守系政党の協力を仰いだわけでもない。自分の行政に対する思いを議会で述べて、地域住民の日頃からの不満をはらしてみたい。そんな一念で立ち上がっただけだったのです。
名誉を求めて、報酬を求めて、三期以上勤めて年200〜300万円と云われている地方公務員等共済 組合による年金を求めて立候補をしたのではありません。しかし、いくら立派な方針を掲げてみても、当選しない事には何の意味もないのです。その事を十分に体得したのが私です。政治政党、後援会組織の力の大きさを死ぬほど味わあせて頂きました。
 ”選挙”それは自分だけの思いで済むことではなく、すべての協力に感謝し、十分な準備・計画があって始めて成り立つものである。落選の道は”つゆぐちてつじ”自身で計画実行された顛末といえる。